10月10日(日) 「ベルゼブル論争」
2021年10月16日
マルコによる福音書3章20~30節
- 主イエスが活動拠点としていたシモンの家に帰られると、そこに群衆、身内の人たち、律法学者たちが集まってきました。
- 群衆は主イエスの癒しを求めていましたが、律法学者たちは難癖をつけ、悪霊の力でそれができるのだ、悪霊の頭だというのです。
- わたしたちは悪霊ではなく聖霊の力であることを知っています。聖霊は一つにする力、悪霊は散らし、様々な関係を切る力です。
- もし主イエスが悪霊の頭なら、それでは内輪もめであり、成り立ちません。主人を縛り上げ手下である悪霊を追い出しているのです。
- 悪霊を追い出すことによって人間性を回復させられた。それを共に喜ぶことができず、善を悪と呼ぶ虚しさを主は問われます。
- 主はどんな罪も赦されるが、聖霊を冒瀆する罪は赦されないと言われました。それは自ら赦しを拒み、滅びへと赴くことになります。
- 目に見える現実が全てではなく、見えない神の愛が、心や魂に潤いや慰めを与えます。見えない世界の真理へと思いを向けさせます。