10月13日(日) 「わたしはまことのぶどうの木」
2024年10月24日
ヨハネによる福音書15章1~10節
- 主イエスはご自分を「まことの」ぶどうの木と言われました。つまり、「まことでない」ぶどうの木があったということです。
- 旧約以来、イスラエルをぶどうの木に喩えられてきましたが、イザヤ書5章にあるように、主なる神の期待を裏切ったぶどうの木でした。
- また「父は農夫である」と、神との関係もはっきりと表しました。ぶどうの木を育て、管理される方がおられるのです。
- わたしたちぶどうの枝は、まことのぶどうの木につながっていなければ実を結ぶことはできません。手入れをするのは農夫である神です。
- 良い実がなるためには剪定をする必要があります。それは御言葉によって清くされることです。清くする=手入れする、同じ意味です。
- 旧約の民は御言葉を聞いて清くされることを拒みました。人間の業で救いを獲得できると考えた結果良い実を結ぶことができませんでした。
- わたしたちは枝であり、木そのものではありません。主イエスにつながり、命を受けて、豊かな実りをつけていく歩みを進めましょう。