11月6日(日) 「枯れたいちじくの木」
2022年11月13日
マルコ福音書11章12~14、20~25節
- 主イエスともあろうお方が、季節外れの実を求めたいちじくに実がなっていないことを呪うとは、空腹でもあんまりではないかと思います。
- 困惑させるこのエピソードは、マタイ、マルコ共通してエルサレム入城の後に記されています。その文脈で読み取る必要があります。
- マルコではわざわざ間に「宮清め」の記事を挟んでいますが、エルサレム神殿の礼拝する場とは言えない状況への嘆きと怒りがありました。
- いちじくやぶどうは旧約時代からイスラエルを象徴するものでした。祝福の賜物として実がなるはずなのに民は応答しなかったのです。
- 「いちじくの季節ではなかった」というのはわたしたちの都合です。神は「今」真実の礼拝を求めておられるのに実をつけていないのです。
- この箇所は備えていなければ滅びるという警告にとどまらず、全能の神の力を信じる信仰へとわたしたちを招いておられます。
- さらに赦しをもって祈る事へと導いています。呪われ、枯れるはずのわたしたちの代わりに十字架にかけられた主イエスによる招きです。