2月19日(日) 「十分の十献金」
2023年02月26日
マルコによる福音書12章41~44節
- 富や金銭には魔力があると言われます。人はその魔力の虜になって自分自身を失いやすい。そうした傾向を主イエスはよくご存じでした。
- 富の魔力に振り回されるのではなく、富を人が生きるために有効に用いることができる、実力をつけるために献金という行為があるのです。
- お金を前にすると、その人の価値観がよく現れます。神を第一とし、第二以下のものを神にあって、賜物として捧げるという訓練です。
- 献金は「感謝と献身のしるし」であるように、主イエスがわたしたちのためにすべてを捧げ、その命も与えてくださったことへの応答です。
- 「十分の一献金」と言われますが、まず神に捧げいただいた恵みの残りをもって生活する。あれこれやった残りの十分の一ではないのです。
- 登場したやもめは、1クァドランスつまり1日の賃金の64分の1の金額ですが、彼女の生活費すべて、つまり十分の十を捧げました。
- 主イエスが命を捧げ、わたしたちの救いとなられたのであるならば、見えるものに見えない命を込めて捧げる潔さを養いたいものです。