2月5日(日) 「メシアはダビデの子か」
2023年02月12日
マルコによる福音書12章35~37節
- マルコ福音書11章の終わりから、主イエスを亡き者にする目的で難問を吹っ掛けた人たちが、今度は問われる者になりました。
- どうして律法学者たちは、「メシアはダビデの子だ」と言うのか。ダビデというのは、ユダヤに人々にとって理想化された王の姿です。
- 軍事的、文化的、政治的、経済的に優れた王によって、現状ローマの支配下にあるイスラエルが覇権を取り戻すという思いがありました。
- しかし主イエスは、詩編110編1節でダビデ自身がメシアを主と呼んでいる個所を引用し、ダビデ自身主の僕に過ぎないことを示します。
- メシアは軍事的脅威、政治的権威で栄光をもぎ取る征服者ではなく、愛と憐れみをもって導ききる救い主だということを語られます。
- 聖書はダビデの華々しさよりも、罪に悩み苦しみ、その結果号泣するダビデを描いています。それは民族至上主義の象徴ではありません。
- 誰よりも上に立つべき方が、誰よりも下に立ち、人々を支え、受け入れ、抱きとめる方として人々に仕える。これが真の救い主です。