3月10日(日) 「神の業が現れるため」
2024年03月20日
ヨハネによる福音書9章1~12節
- 生まれつき目の見えない人を見たのは主イエスだけでなく、弟子たちや近所の人もでした。しかし、その見方は異なっていました。
- 弟子たちは因果応報思想を前提に、この人の目が見えない原因を求めました。それは過去に目を向けるもので、問題の解決にはなりません。
- しかし主イエスは、神の業が現れるためという将来へと目を向けさせます。今は闇でも将来に光をあてることで希望を与えられるのです。
- 上から目線で同情する仕方は「自分は関係ない」という所に立ちます。同じ痛みを担ってくださる方がおられることで事が起こるのです。
- 「生まれつき目が見えない」というのはわたしたちの姿です。神も自分の罪も見ることができない盲目状態です。そこに光があてられます。
- 主イエスが土をこねて目に塗られた御業は、人間の創造の出来事に重なります。主イエスによる人間の再創造がここに起こったのです。
- シロアム(遣わされた者)は主イエスです。主イエスのもとで洗う、洗礼を受けることで目が開かれ、神を求めて歩むことができるのです。