3月17日(日) 「見えるようになった」
2024年03月28日
ヨハネによる福音書9章13~41節
- 生まれつき目が見えない人を癒されたことで、主イエス不在の中、主イエスが何者かという議論が起こり、対立も生まれました。
- なぜ議論、対立が起こったのか。それは主イエスが安息日に癒しの業をなさったからです。癒しの事実よりも律法違反に関心があるのです。
- ついに癒された人の両親まで引っ張り出して説明させようとしました。両親はユダヤ社会からの追放を恐れて「分からない」と答えました。
- もう一度呼び戻されて尋問を受けた癒された人は、イエスを罪人と決めつけるユダヤ人に対し、自身の救いの体験から主を証しました。
- わたしたちにも、神が見えない、罪が見えない盲目状態から見えるようにしてくださった、救われたという経験があるはずです。
- ユダヤ人たちは、律法を守ることにこだわり、「こうあるべきだ」という基準で物事を判断します。「盲目状態」にも気づかないのです。
- 追放された人を主が探し出してくださり、彼は主を信じると告白しひざまずきます。見えるようになった救われた者の姿がここにあります。