3月2日(日) 「真理とは何か」
2025年03月13日
ヨハネによる福音書18章28~40節
- ヨハネ福音書では、大祭司のもとでの審判をとばして、総督ピラトのもとでの尋問に移ります。それは明け方のことでした。
- ユダヤ人たちは、自分たちの手を汚すことなく、正当な理由付けをするために、主イエスをピラトのもとに訴え出たのです。
- 彼らは主イエスを死刑にすることを前提に訴えましたが、ピラトには主イエスに死刑に相当するような罪を見出すことができませんでした。
- ピラトは主イエスを尋問しますが、ここでも問う者が問われる者へと変えられます。あなたはどう思うのか。信仰が問われるのです。
- 残念ながらピラトは答えませんでした。ローマの総督としてのプライドもあったのでしょう。プライドや保身は信仰の妨げとなります。
- ピラトは「真理とは何か」と主に問いますが、求道的な意味での問いではありませんでした。結果、罪を見出せないまま判決を下すのです。
- 人間の思惑で十字架が決められたようですが、これも旧約で預言された神の御心でした。主こそ真理である、告白しつつ歩みましょう。