4月27日(日) 「なすべき礼拝」
2025年05月09日
ローマの信徒への手紙12章1~2節
- 礼拝、伝道、奉仕の三本柱が三周したことで、原点に返って赴任した1年目の聖書個所から礼拝について学び直していこうとしております。
- コロナ禍にあっても、欠かすことなく礼拝は守られてきました。リモートという知恵も与えられ、教会員以外の方も参加しておられます。
- 身体の不調を覚えたり、様々な事情があったりする中、わたしたちは生活の中心に礼拝を置いています。その礼拝とは何なのでしょうか。
- わたしたちは毎週がクリスマス(救い主礼拝)であり、週の初めの日に主が復活されたことを覚えるイースターとして礼拝を守っています。
- パウロは「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」と言いました。これこそなすべき礼拝だと言うのです。
- 原文では「として」という言葉はありません。神に聖なるものに変えていただいたものとして、体を、生活そのものを献げるのです。
- 罪の身が、主の復活によって清められ、遣わされるために礼拝に集められるのです。福音を伝えたくなって喜んで出ていくための礼拝です。