5月24日(日) 「苦しみを受けてこそ」
2020年05月30日
ルカによる福音書17章22~25節
- 人が生きるうえで様々な苦しみに遭遇することがあります。外面的な肉体的苦痛に加えて、精神的な苦しみ。これらに聖書は向き合います。
- どうなってもいいならば苦しみません。意識が向上すればこそ、愛ゆえに苦しむことがある。その典型がイエス・キリストの十字架です。
- キリストは、救い主であるにもかかわらず苦しまれたのではなく、救いをもたらすために決意をもって十字架を引き受けられたのです。
- 使徒信条には、イエスの生涯は生まれ、死んだ、その間は苦しみを受けたことしか記されていません。そこにこそ意味があるのです。
- その苦しみの生涯が無駄ではなく、栄光を受ける勝利の日が来ることが約束されていますが、いつなのかはわたしたちにはわかりません。
- この世は悪がはびこり、善人が苦しむという不条理を感じます。しかし、正しいからこそ苦しむという側面もあるのです。
- 一瞬のうちに全てが明らかにされる時が来ます。その最後に報いられ、無意味に終わらない人生がキリストの十字架で確定されたのです。