5月30日(日) 「わたしの心に適う者」

2021年06月06日

マルコによる福音書1章9~11節

  • 主イエス・キリストは公の生涯を始めるにあたり、悔い改めのしるしである洗礼を受けられました。なぜ罪の無い方が受けられたのか。
  • それは、洗礼を受けることによって主の生涯が徹頭徹尾罪人と共に生き、神にあって歩み続けるものであるということを象徴しています。
  • 主が洗礼を受けられた時、天が裂けて霊が降り、声が聞こえました。この場面にキリスト教信仰の根幹である父と子と聖霊が現れました。
  • 天からの声は、詩編2編7節とイザヤ書42章1節を合わせた引用で、救いの成就のために立てられた王、救い主イエスを喜ぶ宣言です。
  • 救い主、王として立てられ、それでいてすべての人に仕える僕である。尊厳を持ちつつ、広い心を持って仕える。この二重性を意味します。
  • 神以外の何者にも拘束されない自由を持ちながら、どんな人とも一緒に生きていく広い心。主の名によって洗礼を受けた者は皆持つのです。
  • 天が裂け、神との交信ができるようになったのであれば、水平の関係の前にまず垂直を正して、自らを再発見して進んでいきましょう。
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