6月2日(日) 「涙を流す主」
2024年06月13日
ヨハネによる福音書11章28~37節
- 35節の「イエスは涙を流された」は聖書で最も短い節と言われます。英語ではJesus weptという二語からなっている言葉です。
- 主イエスはなぜ涙を流されたのか。一つの見解は、主イエスが復活であり、命であることを信じきることができない不信仰のゆえでした。
- それよりも、死の力に対して無力にされ、希望を失い、捕らえられている愛する者たちのために涙を流し、死の力に対して憤られるのです。
- 主はラザロをどこに葬ったのか問われました。この「どこに」という問いは象徴的です。あなたは何者でどこにいるべきか問われるのです。
- その問いに対し、人々は「来て、御覧ください」と答えます。「来れば分かる」ということです。もうどうにもならんと思っているのです。
- 死んだら終わり、と思われる世界に、主はご自分につながる者、信じる者には永遠の命が約束されているという希望をお示しくださいます。
- 十字架の死に打ち勝ち、よみがえられた方が、死や悲しみに対して憤り、涙してくださり、最後は復活の勝利へと導いてくださいます。