6月29日(日) 「荒れ野の誘惑①」
2025年07月09日
マタイによる福音書4章1~4節
- 主イエスが伝道開始に先立ち、最後の準備をなされたのが荒れ野において悪魔の誘惑を受けることでした。3つの誘惑の1つ目に注目します。
- 40日の断食をし、空腹を覚えられた主イエスに、「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ」というものです。
- 「神の子なら」と言いました。人間が求めているものは結局パンなのだ。神の子なら、それをまず与えるべきではないかという誘いです。
- また、石がパンになるように「祈れ」とは言いませんでした。直接「命じたら」という誘い。これは神抜きでやってみろということです。
- これらの誘惑に対し、主イエスは「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と答えられました。
- これは、パンか神の言葉か、物質か精神かというような単純な比較ではなく、何をもって生きることになるのかという深い言葉です。
- 神との交わりに生きることでパンも生きてくる。片手にパンと聖書ではなく、両手に御言葉を置き、そこから創造的に生きるのです。