7月13日(日) 「荒れ野の誘惑③」
2025年07月21日
マタイによる福音書4章8~11節
- 荒れ野における悪魔の誘惑の三つ目は、高い山からこの世の繁栄を見せ、自分を拝むならこれらをすべて与えようというものでした。
- 悪魔は、いかにもそれと分かる仕方で誘っては来ません。物事をあいまいにし、微妙な点を突いて目的を達しようとしかけてくるのです。
- ここでも悪魔は聖書を引用しました。詩編2編8節の神が「求めよ」といったその主語を自分に置き換えて、わたしを求めよと言ったのです。
- しかし主は、申命記6章13節「主にのみ仕えよ」との御言葉をもって対されました。全ての創造者である神に仕えることこそ第一義です。
- 繁栄を得たところで、悪と妥協するようなことでは結局滅びに向かっていくしかない。人間は神との交わりにおいて意味を見出すのです。
- 神を神としない時、人は最後は自分を神とする道にいきます。同時に人を人とも思わないような生き方になる。それは空しいことです。
- 主イエスに三度も敗れた悪魔は消滅しませんでした。離れ去っただけです。今も潜む悪魔との戦いに勝利できるよう御言葉に立ちましょう。