7月18日(日) 「主イエスのいやし」
2021年07月24日
マルコによる福音書1章29~34節
- 主イエスは安息日に会堂で教えられるとシモンとアンデレ兄弟の家に行きました。そこではシモンのしゅうとめが熱を出して寝ていました。
- 嫁の嫁ぎ先で世話になっているしゅうとめにしてみれば、身体の変調だけでなく、自分の存在を失いかねない、心も冒される状況でした。
- そうした病人のそばに立たれる主。不安や恐れ、心細さに囲まれている者と共にいてくださり、心の平安から肉体の病の回復へと導かれます。
- 注意して読みますと、このいやしは安息日中に行われました。労働をしてはいけないという人間的解釈を超えて、愛の業を働かれました。
- いやされたしゅうとめは、一同をもてなした、とあります。主イエスや他の人たちに仕えるためにいやされたことをわきまえていたのです。
- 主は悪霊を追い出す際にものを言うことをお許しになりませんでした。神の子に対する誤解から来る無用な評判を広げさせないためです。
- わたしたちはいやされなければならない状況において主と出会い、回復させられた人間性をもって感謝と応答の歩みを展開していくのです。