7月21日(日) 「光のあるうちに」
2024年08月10日
ヨハネによる福音書12章27~36節a
- 主イエスはご自分が十字架にかけられる時が来たことを悟り、心を騒がせます。しかしそれは、この時のために来たという確信のためでした。
- 共観福音書のゲッセマネの祈りで「この杯を取りのけてください」と祈られた主は、ヨハネ福音書においてはこの時を受け止めておられます。
- 主イエスの祈りに応えるように天から声が聞こえます。御子の死において栄光を現わそうと。しかし、その場の群衆は聞き分けられませんでした。
- 聞き分けられなくても、主イエスの言葉に対して天から応答があったことは分かったはずであり、群衆が主を信じるようになるためのものでした。
- 主はご自分が地上から上げられるときと言われました。これは十字架にかけられること、さらに天へと上げられることが重ねられています。
- 十字架は、一見敗北のように見えます。しかし、御子の死を自分の救いのためと受け止める者を、ご自分のもとに引き寄せてくださいます。
- 暗闇が支配しているかのように見える世にあって、主イエスという光と共に歩む者は、自分の行き先、神が支配しておられる御国が示されます。