7月4日(日) 「人間をとる漁師に」
2021年07月10日
マルコによる福音書1章16~20節
- 主イエス・キリストは伝道を始めるにあたって、まず弟子を召し出されました。「人間をとる漁師にしよう」と声をかけられたのです。
- なぜ彼らが召されたのか。特別優秀であったわけでもやる気に満ちていたわけでもありません。ただ神の選びでしかないのです。
- 強いて言うなら、主イエスの招きに素直に従ったところでしょうか。教会は、この主の招き(召し)に応えた者の共同体です。
- 神の招きは色々で、一人一人異なるものです。なぜ彼らが、なぜ自分がと思うような「にもかかわらず」の愛が働かれているのです。
- そもそもなぜ弟子を召されたのか。それは、自分が「主」になりがちなわたしたちが「従う者」となることを求めておられたからです。
- 魚を捕る漁師と人間をとる漁師の違いは、とられた側が生き、とらえる側が死ぬことです。人が生かされるために主自らは死ぬのです。
- 人間性回復のために主は命をかけて贖ってくださいました。主の「わたしについて来なさい」の声に従い、遣わされていきましょう。