8月7日(日) 「だれがいちばん偉いか」
2022年08月14日
マルコによる福音書9章30~37節
- 主イエスが2度目の受難予告をされたにもかかわらず、弟子たちは自分たちのうちで誰がいちばん偉いかという議論を始めました。
- 「偉い」という言葉は大きい・高いを意味します。主イエスが低く低くなられるのに、弟子たちは偉いか、大きいかに関心をもつのです。
- これは他人事ではありません。わたしたちは他者との比較に一喜一憂して生きているからです。これは教会の中にも当てはまります。
- 主イエスはそのような彼らの真ん中に子どもを立たせ、この子を受け入れるなら、神を受け入れることになるとおっしゃいました。
- 子どもはかわいいからとか、純粋だから受け入れるというのではありません。主イエスがこの世で小さなものを受け入れていたからです。
- 山上の変貌を経験した弟子たちもその議論に加わっていました。神秘体験が必ずしも信仰につながらないことがよくわかります。
- 比較の世界、小さき者の価値を軽く見る世界、自分中心の世界ではなく、あるがまま互いにかけがえのない存在である世界を生きましょう。