9月12日(日) 「安息日の主」
2021年09月18日
マルコによる福音書2章23~28節
- 安息日は、家畜や奴隷を休ませるという人道的見地から定められ、肉体的次元のものを精神的次元に深めるという意義がありました。
- しかし、これを観念化し、破る者は罰せられるというふうに、細かい禁止事項を作ってしまったところに問題が出てきたのです。
- この場面で、主イエスの弟子たちは麦畑で穂を摘んだところをとがめられました。安息日の労働にあたるからです。
- 主イエスは、ダビデの故事を引用して、神の御旨を行うために労し、空腹を覚える者が腹を満たすことに問題はないと言われます。
- 安息日とは、激しい息づかいで1週間戦った者が、神に安らかな息を吹き込まれ、存在理由を取り戻してまた歩み出す日だからです。
- 神は、人が休む安息日に働いて、御子を死よりよみがえらせたのです。それ以来、週の初めを安息日の精神を祝う日としたのです。
- その主は今も生きてわたしたちを執り成すために働いておられるのです。安息日の主と出会い、礼拝から送り出されていきましょう。