9月19日(日) 「安息日の精神」
2021年09月25日
マルコによる福音書3章1~6節
- 安息日は、神に創られたこと、神に救われたことを喜び、神に栄光を帰するという目的のために仕事を休むこととなったのです。
- ところが、仕事を休むことが目的になってしまい、主イエスが安息日の規定を破るかどうか、そこにのみ注目が集まっていました。
- そのような中、主は片手の萎えた人を真ん中に立たせ、その手を癒されたのです。そして人々に安息日の精神を問われました。
- 主イエスにとって命を救うか殺すか、その中間はありえません。命を救うことこそ安息日にふさわしいことだとはっきりなさいます。
- 律法学者たちはここで殺意を抱きます。図らずも、安息日に命を救おうとされる主イエスとの対照がはっきりします。
- この人は癒されて手を伸ばしたのではなく、主の招きに応えて癒されました。何でもできないからやらないという萎縮を断ち切るのが信仰です。
- 主はここから十字架に向かうことになります。わたしたちが生かされているのは主の十字架によってであることを再確認します。