9月4日(日) 「主の介入」金奎植神学生
2022年09月25日
創世記11章1~9節
創世記11章までのところは、なぜ救いの歴史が必要だったのかが記されています。
バベルの塔の物語にも、神様から背き離れていく人間の罪と、それによって生じた結果が語られ、なぜ救いの歴史が必要だったのかが記されています。
創世記11章1節を見ると、「世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。」と言われています。全地に散らばる人々は皆、同じ言葉を話していました。
人は離れていてもお互い通じ合えるという神様の恵みのもとに一つであったということです。ところが、それが変わり始める出来事が起こります。「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう」。とあるように、人々の行動や言葉には神様の御心に反する高慢さや目的がありました。
こうした人々の罪や高慢によって、人々が自ら自滅する前に神様が介入し、人々の言葉を分け散らしました。
主なる神様は人々を愛し、人々の罪深い行動までにも関心を注いでくださり、人々が罪を犯す前に介入し、罪を犯さないように導いてくださったのです。