10月5日(日) 「憐れみ深い人の幸い」
2025年10月12日
マタイによる福音書5章7節
- 聖書でいう「憐れみ」とは同情ではなく、痛みを覚えている人の痛みを共に担う、はらわたがよじれるような痛みをもって支えることです。
- 例えばルカ福音書の「善きサマリア人」のように、自分の時間やお金を惜しまずかけてでも、倒れている人を助けてあげるような状況です。
- 主イエスがまさに、わたしたちを憐れみ、罪をすべて引き受けて、自分を鞭打ち唾吐く人に対しても執り成し、十字架にかけられたのです。
- わたしたちは「憐れみ深い者になろう」と思ったところでなれるものではありません。しかし、憐れみ深い者は憐れみを受けるのです。
- わたしたちはそこに遠い者であるにもかかわらず、主イエスを通して憐れみが注がれているから、憐れみ深い者になることができるのです。
- なんでもかんでも「なかったことにする」のとは違います。あったことはあった、悪いものは悪いとしつつ、決断をもって赦すのです。
- 神の憐れみにすがるしかないわたしたちが、赦され、生かされて生きる。そこで神の恵みに応えて生きる歩みにつくことができるのです。