10月12日(日) 「心の清い人の幸い」
2025年10月25日
マタイによる福音書5章8節
- 「清さ」は「汚れ」と対称に旧約以来のテーマといってよいかと思います。ここでは「心の」清さが問われています。
- 心の清さとは、汚れがないというよりも、混じりけのなさを意味し、二心なく、一途に神を求める心を指します(詩編24編参照)。
- そのような人は「神を見る」と言われました。旧約では神を見た者は死んでしまうとされていましたが神の臨在を現すものでもあります。
- 主イエスの時代、律法学者など宗教指導者たちは、外面の清さを強調していましたが、主イエスは彼らの内面を見抜いておられました。
- わたしたちは自分で清くしよう、清くなろうとしても無理なのです。神によって造り変えていただくことなしに清くなることはできません。
- そしてそれは、日々の悔い改めの生活の中で保たれていくものです。一度清くされたら終わり、とならないのがわたしたちの罪の姿です。
- 幸いなのは、何のよりどころも持たずに空っぽの状態で罪を嘆き、ひたすらに神の救いを求める者、神との正しい関係に生きる人です。