2月22日(日) 「祈るときには」
2026年02月28日
マタイによる福音書6章5~8節
- 5章で語られた義しさの具体例として、施しに続いて祈りについて語られました。これも「人に見られること」を前提としがちな行為です。
- 祈りは本来、神との交わりですが、決められた時間・回数祈ることが、信仰的に見せるパフォーマンス化してしまっていたのです。
- 主は「隠れたところで」祈るよう教えられました。それは物理的な密室ではなく、神と一対一で対面するような空間のことです。
- また、「くどくど祈るな」というのは耳の痛いところですが、神に願いを聞いてもらおうと呼びかけ、神を操作しようとするあり方です。
- 願う前からご存じである神になぜ祈るのか。それは、祈りは情報伝達ではなく、神との関係の確認だからです。だから安心して祈れるのです。
- 決定的なのは、神を「父」と呼べることです。遠くで支配している方ではなく、近くに寄り添ってくださる方に祈ることができるのです。
- 祈らなければならないという義務ではなく、祈ることができる・ゆるされている恵みを覚え、人ではなく神に向かって祈りましょう。