5月31日(日) 「赦され赦す」
2026年06月06日
マタイによる福音書6章12節
- 主の祈りの後半、人間の必要の祈りの中心に「赦し」が置かれています。糧の問題だけでなく、わたしたちは赦しを必要としているのです。
- 主の祈りでは「罪」というところがここでは「負い目」となっています。これは原文では負債、返さなければならないものという意味です。
- 罪を犯したのなら、償わなければなりません。その償わなければならないものを帳消しにし、贖う(買い戻す)のが主の十字架です。
- 「人を赦したから赦してください」と祈っているようですが、そのような交換条件ではなく、赦されているからこそ、赦す者になれるのです。
- 聖書の赦しは「無かったことにする」のではありません。赦しには痛みを伴います。神が痛みをもって独り子を十字架につけたのです。
- だから「わたし」だけでなく「わたしたち」の赦しを祈るのです。赦された者として、互いに赦し合う交わりに生かされるのです。
- 赦しは相手を自由にすることではなく、自分自身を解放することでもあります。神の恵みを素直に受ければ、自ずとその道が見えてきます。