7月5日(日) 「顔を上げて喜ぶ」
2026年07月11日
マタイによる福音書6章16~18節
- 祈りに続いて断食についても主は教えられます。これは「するか、しないか」ではなく、「誰に向かって信仰生活を送るのか」が問われます。
- 断食は本来神の前にへりくだる信仰の表れでしたが、その尊い営みが、いつしか人から尊敬されるための道具となってしまっていたのです。
- わざと顔色を悪く見せ、身なりを乱し、いかにも敬虔に断食をしているように見せかける。そのような人たちを主は「偽善者」と呼びました。
- わたしたちも人から認められたいという思いを持ちますが、それ自体が目的となってしまうと、誰のための奉仕なのか?と問われるのです。
- 断食に限らず、「隠れたところ」を見てくださる方がいることが、大きな慰めとなります。神の前で演技をする必要はないのです。
- 聖書に登場する多くの神の僕も、人から評価されるより拒まれることが多かったのです。何よりも主イエスご自身がそうでした。
- 神に愛されるため、褒められるために断食をするのではなく、神に愛され、神を慕い求めるから仕える、喜びの信仰を歩んでいきましょう。