9月27日(日) 「主イエスの権威」
2026年10月03日
マタイによる福音書8章5~13節
- 僕のいやしを懇願した百人隊長は、並行記事を見ると、異邦人でありながらユダヤ人の尊敬を受けるような人格者であることが分かります。
- そもそも僕や奴隷は、病気になれば役に立たず、所有者である主人は、新しい僕や奴隷と取り替えることができる、そのような存在でした。
- 取るに足りないとされた僕を何とか救おうと身を低くして執り成そうとする姿は、主イエスの愛と憐れみを反射させているように見えます。
- この百人隊長はただ御言葉を求めました。今回の癒しの特徴は、主イエスが触れることも、病人と同じ空間にいることすらなかったのです。
- しかも、その言葉は「治れ」とか「出て行け」といった直接的なものではなく、百人隊長の信仰によってもたらされたものでした。
- それは主イエスの権威によるものです。百人隊長は、自分のこの世の権威では通じない、人が生きるための権威をわきまえていたのです。
- 人を生かす神との垂直の関係があって、人間として互いに生きる水平の関係が意味を持つ。そこに十字架が描かれた歩みとなるのです。