9月14日(日) 「悲しむ人の幸い」
2025年09月27日
マタイによる福音書5章4節
- 主イエスは前節の「心の貧しい人々」に続いて、「悲しむ人々は幸い」と言われました。これも常識ではなかなか理解しがたい言葉です。
- 悲しみが心を頑なにしたり、ひねくれたりすることもあり、生産的なことが出てこないことをわたしたちは経験を通して知っています。
- それでも主が幸いだと言われたのは、人は悲しみによって偽らざる自分自身の姿に目覚めさせられるところがあるからです。
- また、涙が目の塵を流し、清めるように、涙を流すような出来事を通して、浄化され、潤され、変えられるようなこともあるからです。
- そして、悲しみの中でこそ、神と出会う機会が多いのです。順風満帆な時よりも、失望し、落胆している時に主が出会ってくださるのです。
- 人は悲しみの中でも自己中心を捨て去ることができません。しかし、心低く受け止めれば、悲しみの中で主と共にあることに気づきます。
- 神はその独り子を十字架につける痛み、悲しみの中で人を赦そうとされたのです。悲しみを突き抜けた喜びへわたしたちを招くためです。