9月21日(日) 「柔和な人の幸い」
2025年10月04日
マタイによる福音書5章5節
- 山上の説教における3つ目の幸いは、先の2つ(心の貧しい人、悲しむ人)に比べれば、そのまま受け入れることができると思われます。
- しかし「柔和」とは何でしょう。穏やかでいつもニコニコしていれば柔和でしょうか。ニコニコがヘラヘラになると意味も変わってきます。
- 柔和というのは、柔らかであるようで、しっかりとした芯がある、そういう本当の強さ、内側に力を持つ穏やかさを言います。
- これまでと同様に、主イエスは「柔和になりなさい」と言われたのではありません。だから柔和であろうと努力するものでもありません。
- もともとの意味は「中庸」ということで、どっちつかずではなく、然りは然り、否は否とする、コントロールできるということです。
- 柔和な人が地を受け継ぐというのは詩編37編11節の引用です。心に拠り所のない人が罪に悲しむ。そういう人が地を受け継ぐのです。
- マタイ福音書では主イエスご自身が柔和な人として記されます(11章、21章)。主に望みを置き、恵みの御業を待ち望みましょう。